掌のうえで踊りましょう







act 1.

 爆豪と合流したのは、消防車やパトカーのサイレンの音が遠くから聞こえるようになってからだった。

「……見つかったらやべぇだろうが、撤収だ」

 サイドキックの姿が見当たらないことと、この酷い現状を見てすぐに察したのだろう。極秘任務なのだ。爆豪は私の腕を掴んで立たせながら、静かな声で撤収を命じた。

「なるほど……対象は奪われ、行方は分からないと」

 事務所に戻り報告をしたが、改めて内容を聞くと酷い有様だ。想定していた中で最も最悪な状況に陥っている。
 読みが甘かった、作戦が悪かった、そのような責任転嫁はしたところで意味がない。結果が全てなのだから。

「私の失態です」
「いや、予想外にあちらが強かった。君が責任を感じる必要はない」

 私があちらの戦力を見誤っていた故に起きてしまった──とジーニストは続けたが、それは私の実力があれば防げたことだ。あの時応戦するのではなく、守ることだけに専念していれば……などと過去を変えられる力もないくせに考えてしまう。

「……あの倉庫にいたやつは全員ぶっ潰した。つまり、テメェがまんまとやられた相手があちらさんの裏切りモンってわけだ」

 サイドキックが告発しようとしていた、エンデヴァー事務所のヒーローであり組織との内通者に一杯食わされたというわけだ。アジトが奇襲を受けたと知り、慌てて駆けつけたのだろうか。悔しさから歯噛みをする。

「過ぎてしまったことを言っていても仕方がない」

 ジーニストの言葉により、不甲斐なさから俯きがちになっていた視線を持ち上げる。それで良いというように頷いてくれたジーニストは「ところで」といって話の流れを変えた。

「相手の個性に心当たりは?」
「……だんまりかよ」
「任務失敗のショックもあるだろう。数日間身体と心を休めると良い」

 聞かれるだろうと想定していた内容だったが、縫い付けられたかのように唇を動かすことができなかった。返答がないことに焦れた爆豪が小さく舌打ちをした。
 敵と対峙したのは私のみ。相手が凍結と燃焼を扱う個性だと知るのは、私だけだ。あのようなことができる人物は一人しか知らない。私が最もよく知る人物だ。

 言葉を発せずにいたことを精神的ショックからだと解釈したようで、ジーニストは休むように言ってくれた。謹慎のようなものだろう。

「失礼します」

 事務所の外は明るくなっていた。それもそのはず、太陽は真上に昇っていた。火傷を負ってジンジンと痛む耳元にスマホを押し当てた。

「……ナマエか?」
「……うん」
「そっちから連絡くれるの珍しいな。仕事は平気なのか?」
「少しお休み貰ったの」

 コール音は2度目の頭で途切れ、スマホからは轟の声が響いた。いつも通りのやり取りをなぞっているようだったが、いくら演じようと声からは訝しんでいる様子が窺えた。
 忙しくなるといって早々に連絡を寄越してきたからだろう。轟は何でもないようなふりをして、仕事について尋ねてきた。謹慎になったと正直に打ち明けても良かったが、あれこれ説明するのも面倒で言葉を濁した。

「轟は?」
「俺の方も仕事は片付いた」
「へぇ……じゃあ今日は帰れるの?」
「何もなければ」

 長引くと予想していた轟の仕事も片付いたようだ。思っていたよりも早い再会になるようだ。

「ナマエ」

 用件は済んだ為、話を切り上げようと口を開いたタイミングで、轟に名前を呼ばれた。スマホをもう一度耳に押し当てる。

「なに」
「せっかく休み貰ったならどこか行かねぇか? 出歩くのが面倒ってなら、前にいったコテージに泊まるんでもいいし」

 せっかくの休みを共に過ごさないかという誘いだった。前に行ったコテージとは、家族のためにとエンデヴァーが購入した場所だろう。今まで過ごすことが出来なかった時間を取り戻そうと考えたようだが、予定を合わせることが難しく、片手で数えられる程度しか利用していないようだ。

 私も一度だけお邪魔したことがある。どうやら、いつまで経っても結婚しない私たちに焦れたエンデヴァーがお膳立てをしようとしたらしかった。

 木を特別な加工をすることもなく、そのまま組み合わせて造ったような木造の建物だった。所々苔がはえていて、キャンプ場にぽつんとありそうな見た目をしていた。
 外装に反して、建物の中は手入れが行き届いていて綺麗だった。柔らかなクリーム色をした木材を並べた床は、暖房がついていなくともなぜだか温もりを感じた。
 すうっと鼻から息を吸い込めば、森の中にいるような匂いがした。木の芳しい香りと、かすかに湿っぽい土の匂い。

 近くに民家がないのだから、隣人のことなど気にする必要はない。真昼間からリビングで押し倒され、服を剥ぎ取られた。背中には、床に敷かれていたラグの長い毛が触れた。
 背中に覆いかぶさった轟が何度も腰を打ち付けてくる。その度に汗やら体液やらが散って、床にシミを作った。じわじわと染みていって、木目の一部のようになる。揺さぶられながらその様子をぼんやり眺めていれば、集中を切らしたことを咎めるように腹の奥、行き止まりのあたりを嬲られた。

 非日常的な空間は確かに盛り上がったが、だからといってセフレから脱却することはなかった。しかし、まだ二十代に突入したばかりの頃の話だ。私は特別なんだとまるで映画のヒロインのように陶酔することもできたし、与えられる快感は甘い痺れだけを残した。

 随分と底に押しやられていた記憶を掬ってみれば、かつてのやり取りが思い浮かんだ。しかし自分の記憶だというのに、なぜだかその時の記憶を思い出しても懐かしいというよりも、安い恋愛映画をみている時のような、鼻白むような気持ちになる。
 このようなことで特別だと、優越感を感じていた過去の私は、可愛らしいが愚かしいほどに現実が見えていなかった。与えられる快感も、今ではただ虚しさを助長するだけだ。
 たった数年で私は変わってしまった。しかし仕方ないだろう。恋にも、オンナにも賞味期限があるのだから。

 映画の中の登場人物になったかのように、全てが煌めいて見えた時期もあったが、それは時間と共に消え去った。煌めいて見えていた合鍵も、表面には小さな傷があるし、無くさないようにと轟がつけてくれたキーホルダーのキャラクターはなんだか表情が不気味だったことに気づく。

 ようやく余計なフィルターが外れ、現実ばかりに目が向くようになった。
 恋は次第に煌めきを失い、時間と共にくすんでいくのだろう。きっと私の恋心はくすんで、かつてのような輝きはない。しかしそれでも轟の隣にいたいと願うのは、賞味期限が過ぎても変わらない何かがあったのか、それとも賞味期限が過ぎたことで何か新しいものへと変化したのか。どちらにせよ、私の恋心はとうに賞味期限切れだ。
 与えられる快感が虚しさばかり残すようになったのは、きっとそれが意味のない行為だと分かってしまったからだ。
 生殖するための行為のはずが、それを妨げるための0.01ミリの壁を毎回取り付ける。その虚しさたるや。
 女性がもつ卵子の数は生まれながらに決まっているらしい。自分がいくつ持って生まれたかも知らないのに、毎月無駄にしていく。どろりと身体から溢れ落ちていく無精卵。それを見るたびに、オンナとしての賞味期限が刻々と近づいているようで焦る。
 そのような私の気持ちなど知らず、轟は何年経っても一度も避妊具を切らしたことはない。興奮しきっているくせに、それだけは冷静に、丁寧な手つきで取り付けていく。
 そんなの要らないから早く──とあおったこともあったが、轟は少し困ったように笑ってから避妊具のパッケージを破いた。たった一つの要求が通らなかっただけで、全て拒否されたような気持ちになり、みっともなく涙をこぼした私に轟は何度もキスをした。痛かったか? と言って、こんな時だけ聞き分けよく行為を中断した。欲しかったのは優しさなんかではなく、強引さだったのに。
 翌朝、何でもないように振る舞う私を見て、轟は良かったと言って安堵した。ただの強がりだとも知らずに。

 あの場所のことを考えると、まだ幼稚だった自分の記憶が呼び起こされ、嫌な感情ばかりが浮かぶ。あの場所がなくなれば、流れ込んでくるこの嫌な感情からも解放されるのだろうか。そう考えたところで、「ナマエ?」と轟の声が聞こえ、通話中だったことを思い出す。

「仕事終わったし、そのまま向かう。位置情報送っておいて」
「分かった」

 通話を終えて数秒もしないうちに位置情報が送られてきた。

 




- 12 -


back



Top